旭川市内小学校職員

吉田歩 Ayumi Yoshida


2003年旭川東高校卒業。同年4月北海道教育大学旭川校へ入学。国語教育を専攻し、小学校、中学校、高校、養護学校の教員免許を取得。2007年3月同校卒業後は、小樽で硝子製品を製造・販売する株式会社 北一硝子へ入社。入社後は、新規立ち上げ店舗のサブ責任者、顧客クレーム対応を経験。2009年9月からは、旭川市内の小学校で教員として勤務。

スケジュール

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大島郁人 Fumito Oshima

2007年に旭川東高校を卒業し、東京大学理科一類に入学。高校生の頃から、社会基盤を支える「素材」に興

田中紀恵 Norie Tanaka

留萌市生まれ。旭川東高校に入学と同時に親元を離れ下宿生活をスタート。高校3年時に理系から文系へ変更を

松木琴未 Kotomi Matsuki

2003年東高入学。その年の8月から旭川市の姉妹都市米国ブルーミントンへ一年間の留学を経験。2007

教育大学卒業後、一般企業へ就職、その後教員というキャリアは珍しいのでは?

そうなんです(笑)教育大学で教員免許を取得する学生は、絶対自分は教師になるという気持ちを強く持っていることが多いんですね。教員になるという目標を共有する同士なので、自然と連帯感も高まります。その中で卒業後すぐ教員にならずに民間企業への就職活動をして、民間へ就職する学生というのは少ないですね。特に旭川校はそうだと思います。

 

基本的に教員養成を目的とした大学なので、一般企業への就職支援を大学側に頼るということもなかなか難しくて・・・勿論学内での企業説明会もありませんでしたから、自分で合同説明会を調べて参加したりと、情報収集には非常に苦労しました。今は、大学も民間就活に対して少しずつ変わってきている、情報は増えていると聞いていますが。

教育大を卒業してすぐ教師になることは考えなかったのですか?

考えていませんでした。教育大学では、3年生の夏に教育実習へ行くのですが、そのときに、実習では教師という職業の良いところしか見ていないと感じていました。実際に赴任すれば、生徒指導も求められるし、自分よりずっと年配の保護者の方々とも渡り合う必要があります。社会人としてのスキルが全くない状態では、まだ教師にはなれないと思いました。

何を重視して就職活動をしたのですか?

私は明確に行きたい会社があり、やりたい仕事があって、就職活動をスタートさせました。

 

私の中学・高校時代は、邦画がまだ下火だった時期。劇場に、今のようにお客様が入っている時期ではありませんでした。それでも、登場人物の感情を浮き立たせたり、洋画とは違う繊細な描写がみられたりする邦画に私はすっかり熱中し、休みの日はよく何本も邦画をレンタルしていました。惹かれる作品は、繰り返し繰り返し観ました。図書館で大好きな作品の脚本を見つけては読みふけったり。そのとき感じていたのは、作品を「つくる」側になりたいということ。どうにかして、その世界に近づけないかなぁと思っていました。映画製作の裏側を実際に見てみたくてエキストラとして見学に行ったこともありました。そのときの感動みたいなものは今も強く心に残っています。

 

そこで目指したのはメディア。取材や協賛を通じて、映画をつくる側と接点を持てると考えたからです。また、邦画をいろいろな世代の人達に観てほしい、邦画を広く知ってもらいたいと考えていました。面接が進んで行くうちに、その思いは強くなりました。行きたくて仕方なかった会社。その会社で働くことしか考えていなかったようなものです。ですが、結果的に最終面接までたどり着いたものの、その会社で働くことはできなかったんですね。本当にショックでした。その会社のために始めた就活でしたから、とたんに進む方向が見えなくなってしまいました。

 

それでもその時、ひとつ理解したことがありました。それは、自分を救うのは、自分の意志だということ、自分の目標をしっかりもっていれば、希望に近付くことができるということです。結果は残念だったけれど、ここまで来ることができたということを自信に変えるよう意識しました。

 

それを裏付けるように、他の会社の選考も進んでいました。面接対策すらできない大学でしたので、就職活動という場に慣れるという意味もあり、その第一志望の企業以外にも、道内の金融から小売まで幅広い業種を受けていたんです。そこからは頭を切り替えて、大学で続けていたアルバイト経験も踏まえ「自分に向いていることは?」と考えました。その中でご縁があったのが北一硝子。

 

お客様の顔がよく見える職場でした。調味料入れを扱うお店には、海外からの観光客のお客様もたくさんいらっしゃいました。韓国語、広東語、北京語、英語が飛び交う中にいると、話している内容は分からなくても、何語かはだいたい聞き分けられるようになりましたよ。

 

北一硝子では、色々な仕事を経験させてもらえました。総合職でしたので、接客はもちろん、広告・ディスプレイ・発注・商品開発・・・。小売業としては非常に重要なお客様からのクレーム対応の仕事も任せていただきました。そして、入社して1年頃、新規立ち上げ店舗のサブ責任者になりました。どちらも大抵は相応の経験年数を経てつく仕事なので、入社1年弱で任せてもらえたのは幸運。そうした経験を通じて、人の上にたって仕事をまとめていくことを直に学ぶことができました。

 

2年3ヶ月勤めた北一硝子で教わった一番大切なことは、「どの会社」で働くかではなく「そこで自分が何をするか」が重要だ、ということです。もし、第一志望の会社に合格していたら、きっと会社名に甘えてしまっていただろうなと思います。

その後、教員になろうと決意したきっかけはなんですか?

直接のきっかけは、大学で所属していたゼミの先生が、産休代替の臨時採用枠を紹介してくださったこと。もともと20代のうちに、2〜3つの仕事をしたいと思っていましたし、いずれ教員には挑戦しようと思っていたので、旭川へ戻り教員になることを決めました。

実際の教育現場にでて感じたことは?

教師は、人として最低限のことが何かを教えるものだと思っています。それを土台として肉付けしていくのは、子どもたちが自分で経験し、学んでいくこと。では最低限とは何かと考えると、善悪の判断になると思ったんです。結局は、自分が信じることを教えるしかない。自分次第なんです。

 

子どもに好かれようとは一切思っていませんが(笑)、それでも毎日信念通りやっていれば、こちらを向いてくれる子はいると感じています。子どもたちから好きになってもらうために教師になったのではなく、子どもたちが年齢とともに着実に経験を積んでいくうえで、私にも何か手助けできることがあるのではないかと考えて教師になったので。

最後に、後輩へメッセージをお願いします!

公務員として働くには、大学卒業から一定の時間の猶予があります。その猶予期間は、働きたい自治体や卒業時の年齢によって異なりますが、数年間はあるでしょう。もし、卒業してすぐに公務員として、あるいは教員として働くことに戸惑いを感じているなら、一旦全く異なる経験を積み、自分の武器を持ってから教員を目指しても、決して遅くはないと思います。

 

北一硝子でお客様の顔を直接みながら接客をした経験、店舗のサブ責任者として人の上に立った経験。それらがなければ、私は今と同じように信念を持って、子どもたちに接することは難しかっただろうと思っています。

 

(2012年1月 インタビュアー 高坂春菜)

 

カテゴリー:会社員,公務員

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