医師

木佐(大場)優葉      Yuha Kisa (Oba)


2003年3月旭川東高校卒業、同年4月に北海道大学医学部医学科入学。2009年3月同校卒業、医師免許取得。卒業後は、市立旭川病院で2年間初期研修医として勤務。内科、外科、産婦人科、小児科、精神科などで研修。初期研修修了時に結婚。専門を総合診療・地域医療に決め、2011年4月から札幌近郊で訪問診療・在宅医療に従事。2012年4月から夫の転勤に伴い北海道倶知安町に転居。現在は第1子妊娠中のため産休に入っている。

スケジュール

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櫨山太郎 Taro Hazeyama

2003年旭川東高校卒業。一年間の浪人を経て、筑波大学体育専門学群入学。2008年3月大学卒業後すぐ

鈴木 直己 Naoki Suzuki

1977年旭川東高卒。1983年旭川医科大学を卒業し同大附属病院で1年間の小児科臨床研修後、1984

木佐(大場)優葉      Yuha Kisa (Oba)

2003年3月旭川東高校卒業、同年4月に北海道大学医学部医学科入学。2009年3月同校卒業、医師免許

高校時代について教えてください

高校時代は音楽部に在籍し、部活三昧の毎日でした。東高に今も勤務されている水野先生、音楽部の同期や先輩後輩には本当にお世話になりました。

 

勉強はとにかく数学が苦手で、世界史や生物・化学ばっかり勉強していました。高校3年の秋に部活を引退してからは自分なりに一生懸命勉強しましたが、やはり苦手な科目は最後まで克服できず、大学受験の時も足を引っ張っていました。

いつ頃から医師を目指したのですか?

医師になろうかなと思ったのは中学時代です。父が心臓外科医で、しょっちゅう夜中に病院からの呼び出しがあったんです。父がその度にすごく楽しそうに出かけていく姿を見て、そんなに楽しい仕事なの?と思ったのがきっかけです。でも実際に自分が働いてみると、夜中の呼び出しは眠いしつらいしで、父のように嬉しそうに夜中に飛び出していくことはできません(笑)。

 

大学選びは迷っていました。最初は憧れの合唱団が京都にあり、そこで歌いたいという不純な(?)動機で第一希望は京大にしました。一方で北海道を離れたくない気持ちもあり、第二希望は北大でした。

 

3年の夏になっても苦手な数学が克服できず、京大よりは北大を考えるようになりました。総合大学に行きたかったのと、一人暮らしをしてみたかったので北海道の中でも北大に決めました。

北大での学生生活はどんなものでしたか?

医学部医学科は6年間のため、学生はほとんどが医学部生だけの部活に入ります。その方が6年間フルに部活ができますし、就職後も医者の世界で縦のつながりがあると良いことが多いからです。

 

私は大学でも合唱をやりたかったため、色々な学部生が集まる全学の合唱団に入りました。総合大学ならではの選択肢で、本当によかったと思います。医学部がいかに特殊な世界かを肌で感じることもできましたし、文系理系問わず様々な職種にまたがる、一生の友人ができました。

進路についてはどのように考えていましたか?

最近の医学生は卒業後、ほとんどが「研修医」と呼ばれる2年間の初期研修を行います。2年間の終わりに専門の科を決めます。その後は大学の医局に入ったり、気に入った病院で働いたり、中には医療行政や研究職につく人もいます。

 

初期研修をする場所は全国どこの病院でも試験を受けることができるのですが、私は北海道、特に生まれ育った旭川で働きたいと思ったことと、内科系を志望していたため内科の研修が充実している市立旭川病院で働くことを決めました。

いよいよ「現場」に入るわけですね。総合医療にフォーカスすることを決めたきっかけを教えてください。

研修医の間は内科・外科・麻酔科・小児科・産婦人科・精神科など多くの科を回り、勉強させていただきました。どの科も面白くて、指導してくださる先生方の知識の深さや患者さんへの接し方など尊敬することばかりでした。市立旭川病院の先生方はものすごく忙しい臨床の合間に熱心に研修医を指導してくださり、研修病院としては非常によかったと思います。

 

研修医が終わる時に専門科を決めなければならないのですが、当時は総合診療・地域医療と呼ばれるジャンルと、精神科の間で迷っていました。この2つの科は全然共通点がないように見えますが、どちらにも共通するのは「患者さんの生活を第一に考える」、「(病気に勝つというよりは)できる範囲で共存する」ことだと思います。

 

学生時代はただ単純に「病気を治せる、患者さんに感謝してもらえる」ことが医師の魅力だと思っていました。でも実際に働いてみると、すっきり治る病気は限られているなぁと実感したんです。もちろん治癒できる病気は治しますが、そうでない病気にかかってしまった時にどうするのか、を考えることに興味があります。

 

総合診療・地域医療をやることに決めたきっかけは、研修中にずっと抱いていた‘違和感’です。
‘違和感’の始まりとなった出来事は今でも覚えています。当直をしているある夜、退院したばかりの高齢の患者さんとご家族が救急外来にやってきました。「退院したけど痛くて夜眠れない。入院中に認知症がひどくなったようだ。足腰が弱ってトイレに行くこともできない。入院させてくれ!」と。救急外来は緊急の病気を診る場所ですし、治療は終了しているため、医者側からしたら到底受け入れられない要求です。こういった方を毎回入院させていては病院がパンクします。やむを得ずお帰りいただくしかなかったのですが、その後もずっと、もし自分の家族だったらどうしていたか?、患者さんの幸せってなんだろう、などと考えていました。

 

大きい病院では最先端の治療や難しい病気の治療をすることができ、それによって救われる患者さんもたくさんいます。先ほどの救急外来のような方は、むしろ大きい病院ではなく小さい病院、在宅医療などで少し手助けできるのではないかと思い、そういったことに多く関わることのできる総合診療・地域医療に進むことを決めました。

妊娠中とのことですが、働き方について考え方の変化はありましたか?

今後の働き方を考えるとき、必ず考えなければいけないのは出産・子育てと仕事の兼ね合いです。私は初期研修修了時に医学科の5年先輩である夫と結婚し、現在は第1子を妊娠しているため産休中です。夫も総合診療分野の医師です。

 

今後の働き方、女性医師の妊娠出産と仕事については大学時代からとても悩んでいました。少しずつ環境が変わってきたとは言え、女性医師の子育てと仕事の両立はとても難しいです。

 

その理由は大きく分けて3つあると思います。一人前になるために多くの先輩医師・コメディカルの方々に指導していただき、忙しい中時間と労力をかけて育てていただいていること。医師として経験を積むべき時期と妊娠出産の時期が同じであること。更に、決まった時間に終わることが不可能で、当直や休日・夜間の待機(患者さんに何かあったら病院に駆けつけなければいけない)があることです。

 

研修医時代、ある指導医の先生(男性)に「いつ頃出産したらいいのか悩みます」ともらしたことがあります。その先生の返事は、「いつであっても周りの医者に迷惑はかけるんだから、自分が出産したい時でいい」というものでした。その先生は産婦人科だから余計に、高齢出産になる前に出産した方がいいという気持ちがあったのかもしれません。でも「いつであっても迷惑」というのは忙しい臨床現場で働く先生方の本音だと思います。勉強中の身でも、一人前になって仕事を任せられるようになっても。

 

それらを踏まえて、悩みに悩んだ上で、私は若手のうちに妊娠出産することを決めました。周りからは「もったいない」と言われることもありますが、今のところ後悔はしていません。自分の人生の中で何が大事か、優先順位をつけた上で決めれば後悔はしないのではないかと思います。

 

今後の働き方については、正直出産してみないとわかりません。でも子育てをしながら、何らかの形で医師として働いていきたいです。そう思っている女性医師は多いと思います。そのためには、‘24時間、365日’の勤務が求められている今の医師像では難しいのではないでしょうか。医者側、患者側両方の意識改革が必要です。夜中でも休日でも主治医の診察を求める患者さんがいるうちは難しいなぁと思います。

最後に東高生にメッセージをお願いします。

私が高校時代に思っていた「医師像」は、現実とは随分違うものでした。医学の力で完治する病気は限られていますし、女性は医師としてバリバリ働きたければ妊娠出産についてかなり悩むことになります。とてもやりがいのある素敵な仕事ですが、医学部に入った時点で将来の職業はほぼ決まってしまうので、その先まで考えてから志望することをおすすめします。

 

(2012年6月)

 

カテゴリー:医療系専門職

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