藤原俊介 Shunsuke Fujiwara


2004年3月旭川東高校卒業。2005年4月筑波大学体育専門学類に入学。2007年5月〜2008年3月まで、大学を休学し、ニュージーランドで生活を送る。同年4月に復学し、2010年3月同大学を卒業。同年4月富士ゼロックス株式会社に入社。

スケジュール

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大島郁人 Fumito Oshima

2007年に旭川東高校を卒業し、東京大学理科一類に入学。高校生の頃から、社会基盤を支える「素材」に興

田中紀恵 Norie Tanaka

留萌市生まれ。旭川東高校に入学と同時に親元を離れ下宿生活をスタート。高校3年時に理系から文系へ変更を

松木琴未 Kotomi Matsuki

2003年東高入学。その年の8月から旭川市の姉妹都市米国ブルーミントンへ一年間の留学を経験。2007

どんな高校時代を送りましたか。

スポーツ好きの普通の高校生って感じです。バレー部に所属していて、当時は、部活を一生懸命やっているつもりでしたけど、今から振り返ると、中途半端でした。部活の時間だけ同じように練習をするんじゃなくて、本当に勝つために、もっと自分たちで考えてできたことも多かった気がします。春の高校バレーの北北海道大会をベスト4で負けたのは今でも、よく憶えています。

スポーツ好きというので、筑波大学体育専門学類に進学した?

大学では、将来やりたいことを見つけようと、そういう期間にしようと考えていました。やりたいことを見つける期間に何を学ぶか、どうせだったら好きなスポーツ、体育について勉強しようと。

 

筑波を考えたのは、きっかけがあって、それは2年のときに筑波大学から教育実習に来ていた実習生がいたんです。その人の話で、僕が知っているような有名な選手と一緒に勉強できるというのを聞いて、入りたいと思いました。

 

僕は「環境」が、すごく大事だと思うんです。自分自身が旭川教育大学付属中から、東高に入って、東高の環境に伸ばしてもらったと感じてます。1番と2番が違うには絶対に理由があるはず。だから1番と2番の環境は違うと思っています。スポーツの分野では、やはり筑波だと思っていたので、現役では、合格できなかったのですが、こだわりました。

浪人時代というのは、どんな時期でしたか?

今、思えば、浪人したことで、自分自身が変わったと思います。今までの人生で一番の転機だったかもしれないです。何が変わったかというと、「なんでもあり」なんだって思えるようになりました。

 

僕は小学校、中学高と附属(※)で、高校は東高で、ずっとエスカレーターというか、挫折しないできたんですね。浪人して、初めて大きな挫折をして、でも、だから何というか、浪人したって問題ないし、「なんでもあり」なんだなって思いました。
(※)北海道教育大学旭川校附属小学校・中学校
 

例えば、それは大学に入ってから、テニス部に入ったことにも現れています。もし、現役で入学していたら、 そのままバレー部に入っていたと思います。テニスという新しい選択肢を選べたのは、浪人して「なんでもあり」なんだって思ったからだと思います。

どんな大学生活を送ったんですか?

2年の冬まではやっぱり部活を頑張ってました。今、言ったように、部活はテニス部に入ったんです。バレー部は毎年日本一を争っているような強いチームで、試合にも出るのも厳しい。体験入部をしましたが、一日でやめてしまいました。別の新しい競技に挑戦しようと思って。そこで個人戦もあるテニスにしました。新しい挑戦でしたが、それはそれで上手くなっていく喜びもあって、充実していました。だけど、2年の冬に、休部して、海外に行こうと思い立ちました。

どうして急に海外へ行こうと?

自分はいつもそうなんです(笑)なにかを直感的にふと思いついて、そうと思うと止まらない。だから、このときも1月から1年間休部・休学して、バイトでそのための資金を稼ぎました。そして、3年生の5月〜3月にあたる時期に、ワーキングホリデー制度でニュージーランドに行ってきました。

 

海外に行こうと思ったのは、日本を外から見たかったから。僕は日本が好きなんです。好きなんで、逆に行きたいと思った。海外に出て、日本人がマイノリティの状況から見えるものあると思ったんです。就職すれば、長く海外に行く機会もあまりないですし。

 

最初の3か月は語学学校に通って、それが終わった後は、パン屋とか、日本食レストランとかで働いて…海外でフリーターをやっていた感じです。この期間ですごく成長したし、たくましくなったと思います。そのころの写真を見ると、ヒゲもボサボサに伸ばしていて、見た目もたくましい(笑)

戻ってきてからは、いよいよ就職活動?

そうですね。ただ、ニュージーランドに行く前に、部活を最後までやりきるというのは、自分で決めていました。なので、同期が部活を引退した後も、部活を続けました。

 

就職活動に関して言えば、ニュージーランドから戻ってきて、そのときに考えようと思っていたので、あまり早くから具体的なイメージがあったわけではないです。ただ、ニュージーランドで感じたのは日本のモノが持っている価値です。例えば、ニュージーランドでは中古車を含めて日本車が沢山走っていて、あるおじさんは「ジャパニーズ・カーを持っているのはステータスなんだ」って言ってたり…モノづくりという日本の強みを感じました。

就職活動で重視したのはどういうところでしょうか?

さっきも話も話しましたが、僕は「環境」を大事に考えています。なので、就活のときも、1番の環境にいたいと。それが自分の成長に繋がると考えました。日本経済で、1番は何なのか。それはやっぱりモノづくりで、自分は文系だったので、それじゃあ、メーカーの営業としてモノを売ろうと。それで各分野のトップメーカーに絞って就職活動をしていました。

今の仕事とこれからについて考えていることを教えてください。

入社後は法人向けの営業をやっています。飛び込み営業とか。法人同士の、BtoBの営業は相手企業の担当者と直接会ってのやりとりなんで真剣勝負という感じです。

 

ただ、現状に満足はしたくないですね。自分の人生をもっと刺激のあるものにしたいし、成長したいと思っています。本当に選択肢は「なんでもあり」だと思うので、自らより成長できる環境を作って、自分を変えていきたいと思います。最終的な目標は幸せな家庭を築くことと、魅力的な男になること、この2つを両立することですね。

最後に、現役の東高生にメッセージをお願いします。

 振り返ると、東高という環境は本当に恵まれていたと思います。その環境の中で過ごす3年間を大切にしてください。

 
 
 

(2012年8月 インタビュアー 越 政樹)
※プロフィール等はすべてインタビュー時のもの

 

カテゴリー:会社員

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