北海道新聞社 旭川支社 報道部 記者

田辺恵 Kei Tanabe


95年旭川東高校卒業。同年北海道大学教育学部入学。99年3月同大卒業。同年4月北海道新聞社入社。本社校閲部に配属となる。01年7月帯広支社報道部に異動。04年7月本社編集本部に異動。07年2月結婚。10年3月旭川支社報道部に異動し、翌年6月に長女を出産。12年7月産休・育休を経て職場復帰。

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大島郁人 Fumito Oshima

2007年に旭川東高校を卒業し、東京大学理科一類に入学。高校生の頃から、社会基盤を支える「素材」に興

田中紀恵 Norie Tanaka

留萌市生まれ。旭川東高校に入学と同時に親元を離れ下宿生活をスタート。高校3年時に理系から文系へ変更を

松木琴未 Kotomi Matsuki

2003年東高入学。その年の8月から旭川市の姉妹都市米国ブルーミントンへ一年間の留学を経験。2007

新聞社を目指したきっかけは何ですか?

道新に入社した北大の2つ上の先輩から、「サツ回り」(警官取材)の話をきいて、記者という仕事に俄然興味を持ちました。事故、事件、火災、汚職、裁判などなど、これまで見たことのない現場で働けることを魅力に感じて。学生時代から絶対メディアに就職するぞという意気込みがあったというよりは、好奇心をくすぐられたというのが近いかな。もともとは教師になろうと思っていたこともあり、真剣に就職活動をしたのは北海道新聞社のみ。

 

面白そうだと思ったことは取り敢えず何でもやってみるタイプ。中学生まではバレー部だったのに、高校では放送局に入りさらに女子将棋部を立上げたのも、「面白そうだ」ったから。大学では合気道部と地理研究会と、興味の湧く新しい分野に身を置くのが好きでした。

 

道新にご縁があって入社し、最初に配属されたのは校閲という、誤字脱字や不備がないかを確認する部署。サツ回りとはかけ離れた日々でした(笑)。道新は、新聞社の中の様々な役割を経験させて、オールラウンダーを育てるスタンスなんですね。カメラを持ち取材に出かけるのが記者、その記事をレイアウト(割付)する編集、校閲、印刷、紙面広告をとってくる営業、、、私自身、校閲部ののち、記者、編集、記者と色々な経験ができて、それはとても良かったと思っています。

北海道新聞の記者としてどんな時にやりがいを感じますか?

コツコツと日が当たらないところで頑張っている人の取組みを紹介できたとき。最近では、旭川出身で今も地元でクラフト作家として頑張る方を取材したときですね。自分の書いた記事に対して、読者の方から反響があると、さらに嬉しいです。中には直接お電話を下さる方もいますね(笑)

 

道新は、地域行事から大ニュースまで取り上げる新聞。全国紙と比べて地域に密着した取材をするのが特色です。帯広時代に、牛が五つ子を産んだという記事を書いたことも(笑)

 

東高に取材に行くこともあるんですよ。音楽部の取材を水野先生にお願いしたりね。また、道新は、道内のイベントに協賛することも多くあります。そのイベントを記事にすることで、地元の人の頑張りを伝えられることもやりがいの一つです。東高の同期でピアニストとして活躍している安田理沙さんのコンサートを、紙面で予告・紹介したこともありました。特に旭川は、道内の他都市と比べて道新のシェアが高い地域。そこで記者ができるのは嬉しいですね。

 

仕事柄色々な職業の方に会えるのが、記者という仕事の面白いところ。農家、経営者、公務員、芸人、ご老人、、、これまで様々な経歴・職業の方に取材をして来ました。その経験のおかげで、私自身が柔軟な考え方を持てているのだと感じます。夢を持ち続けられるのも、そのおかげかな。

 

記者というのは、出来事を多くの方に紹介する職業。なので自ら取材の対象となるような出来事を生み出す職業ではありません。なので私はいつも、取材させていただく方々を、敬う気持ちでいます。勿論、気後れしているということではないですよ。私は、自分の書いた記事が世の中を良くしていると信じていますから。

 

今はウェブで様々な情報を迅速に入手することができるから、新聞というメディアの形は今後変わるかもしれない。でも例えそうなっても、記者やジャーナリストという現場へ行って取材をする人間が必要なことに変わりはありません。とても大事な仕事だから、形が変わっても続いて欲しいと思います。

女性ゆえに感じることはありますか?

女性であることは、どこでも一緒じゃないかな。40代でもバリバリ働く女性もいれば、あるときにNPOや社労士・社会福祉士などとして働くことを選択する女性もいます。札幌にはママさん記者も多くいますし、編集本部で活躍する女性もあって、一つの会社の中に活躍の場面はさまざまあると思います。

お子さんを産んで職場復帰していかがですか?

働き方は変えざるを得なかったですね。20代のうちは、昼間は取材、夜に記事を書いて、その後飲みに行って・・と身体に無理をかけて仕事をしていました。そのおかげで自信がついたのはすごく良かったのですが、子どもが産まれると同じことは出来ない。今は、朝8:30までに子どもを保育園に預け、夕方17:30には迎えに行っています。職場の理解があって、出来ていることだなあと。それでも急な迎えなど自分で対応することが難しいときもあるので、両親が近くにいることは大きな助けです。両親の近くだったからこそ、子どもを産んでも働き続けることを選べたと思います。

 

「仕事と家庭の両立」ですか?全然できていないですよ(笑)むしろ、どちらも中途半端だなあと思っています。例えば記者は、突発的な取材に備えて、一人ずつ持ち回りで午前1時まで職場待機するのですが、私はそのローテーションに加わることができません。そういうことがあるたびに周囲の有り難味を感じる日々です。

 

でも、そこまで分かっていて産んだ訳ですし、一分たりとも子どもを持ったことを後悔したことはありませんから、やっぱりこの選択は良かったんだろうなあと思います。

 

勿論両立をしていて良かったこともあります。仕事中は娘を預けて働いていると思えば奮起できますし、保育園に迎えに行くと子どもを本当に可愛く感じます。

 

それに、子どもが産まれて、記者の目線に拡がりができたと感じるんです。女性の目線、30代の目線、そこに母の目線が加わったことで、より共感できることが増えました。記者は、個人として身近ではない出来事でも、想像力で補って、その重要性を感じ記事にして伝えるもの。例えば、虐待、読み聞かせ、育児支援、原発問題。それらを母の目線で見る今だからこそ、書けることがあると思っています。

 

(2013年1月 インタビュアー 高坂春菜)

 

カテゴリー:会社員

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