パナソニック株式会社 コンシューマーマーケティング ジャパン本部

松木琴未 Kotomi Matsuki


2003年東高入学。その年の8月から旭川市の姉妹都市米国ブルーミントンへ一年間の留学を経験。2007年高校卒業後、上智大学法学部法律学科へ入学。大学時代は、法学を学ぶ傍らで、インドへのスタディーツアーや欧州各国の一人旅、食品業界でのインターンを経験し、大学院進学も念頭に、将来を模索。その中で、自らの原点と語る「国際協力」への思いに立ち返り、日々の生活に役立つ家電を途上国で広め、人々の豊かな暮らしに貢献したいと考えパナソニックへ入社。国内向け洗濯機の商品企画・マーケティングに従事。

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大島郁人 Fumito Oshima

2007年に旭川東高校を卒業し、東京大学理科一類に入学。高校生の頃から、社会基盤を支える「素材」に興

田中紀恵 Norie Tanaka

留萌市生まれ。旭川東高校に入学と同時に親元を離れ下宿生活をスタート。高校3年時に理系から文系へ変更を

松木琴未 Kotomi Matsuki

2003年東高入学。その年の8月から旭川市の姉妹都市米国ブルーミントンへ一年間の留学を経験。2007

松木さんは留学も経験されて、グローバルな仕事環境を求めて、今のお仕事を選ばれたのですよね。

もともと英語が大好きで、高1の夏からアメリカに1年間留学しました。その後も多くの国を訪れ、自分が今まで見たことのない世界を新たに知るたびに「国際協力に携わりたい」という気持ちが大きくなり、それがいつも原点にあるんです。就職を決めるにあたってもその原点に立ち返り、私のやりたいことが一番実現できると感じたパナソニックに入社しました。

起点になった英語が好き、という強い思いはどこから来たのでしょうか?

物心がつく前から母が家で英会話や英語の童謡のテープを繰り返し聞かせていたそうです(笑)その影響もあってか英語に強い憧れがあり、小学生の頃から「えいごであそぼ」を見たり、国際交流の行事に参加して外国人と話したりするのが大好きでしたね。きっとこの頃から漠然と「絶対いつか英語をマスターしてやる」と思っていたと思います。小学6年生で書いた将来の夢が「20歳までに留学する」ことでした。そのためにしていたことといえば、宇多田ヒカルの歌の歌詞の英語の部分を父の辞書を勝手に引っ張り出してきて和訳していたくらいでしたけれど(笑)

 

中学校に入ると、実際に英語で話す機会が増えました。英語の授業はもちろん、英語クラブに入って暗唱大会に出たり、宣教師として旭川に来ていたALT(Assistant Language Teacher)の紹介で教会の若者会に参加しそこで同年代のアメリカ人の友人をつくったり、すっかり英語オタクに。たまたまラッキーなことに近所でブルーミントンからの留学生のホームステイを受け入れている家庭があって、その留学生との出会いも大きかったですね。英検準2級に挑戦し、合格したのもこの頃。

 

東高に入学してすぐにブルーミントン・ノーマル両市への交換留学プログラムに応募。高校生のうちに行ければ良いな、と考えていたのが、すんなり通ってしまい。それまで海外を経験したことがなく、いきなり1年間の留学が初海外となりました。最初はものすごく苦労しました。思っていた以上に英語がうまく使えず言葉の壁も深刻でしたし、友達を作るにも日本のホームルームのような時間がないので自分から積極的に話しかけなくてはいけなくて。はじめの1ヶ月間はずっと帰りたいと思っていましたが、日々の努力の積み重ねで英語も3ヶ月くらい経った頃に突然わかるようになり、それからは楽しく過ごせました。毎日の宿題はすごく大変でしたが(笑)

留学したことは、将来やりたいことにどう影響したのでしょうか?

留学中の春休みにニューヨークのマンハッタンやワシントンDCを訪れ、文字通り人種のるつぼを目の当たりにして、将来こういうところで働きたいと強く思いました。元々国際的な仕事に興味があり、医師として国境なき医師団に入り国際協力をしたいと考えていましたが、グラウンドゼロ(9.11テロの跡地)を訪れ国際問題を前にして、外交や世界平和にも視野が広がりました。

 

ただ余りに視野が広がりすぎた、というのが正しいと思います。旭川に戻れば普段の生活で、学校の勉強も丸一年間ブランクになっていたため成績もふるわず。現実とのギャップが大きく、具体的な目標が定まらないまま、高校2年目が過ぎて行きました。

そんな中、上智の法学部を受験しようと思うに至ったきっかけは何でしたか?

ちょうど高校2年目の冬休みに、東京で暮らす東高の先輩のところへ遊びに行き、大学を見て来なよと薦められたんですね。早稲田大学と慶応大学を訪れ、それまで国公立である北大しか頭になかったのですが、東京の私立という選択肢もあるんだなあと。その後テレビのドキュメンタリー番組か何かで難民高等弁務官を務められた緒方貞子氏の存在を知り、「緒方さんのようになりたい!」と強い憧れを抱き、彼女が一時期学部長を務めていた上智大学への思いが強くなりました。高3の春にはオープンキャンパスにも参加し、上智大学に行こうと決意。第一志望は法学部の国際関係法学科。11月に公募推薦入試にチャレンジしましたが結果不合格で、この公募に淡い期待を寄せていたため一時は本当に途方にくれました。12月から入試までの約2ヶ月間は、死ぬ物狂いで猛勉強しました。起きている間ずっと勉強、お正月も泣きながら勉強、上智の赤本、なんと10年分やりました(笑)受験した学科は法学部国際関係法学科、法律学科、外国語学部イスパニア語学科の計3つ。結果は、第一志望であった国際関係法だけ不合格。学部一緒であればそれでよしと法律学科に進学したわけですが、必修の法律科目以外ほとんどは自分の興味関心のある国際政治や宗教、開発経済の授業などを受講することができ、結果的によかったと思っています。

入社までの経緯やきっかけとなった出来事を教えて下さい。

大学1年生の夏に、アイセックという海外インターンシップを企画運営するサークルのスタディーツアーへ参加し、2週間インドのニューデリーへ行きました。今でこそインドは経済発展の目覚しい国として捉えられていますが、当時はカオスと言う一言が相応しかった。空港を出たらすぐ牛がいたり(笑)インフラも人々のモラルも発展途上。一歩、日本を出れば、これほどの貧富の差がある。それが初めて私が実感した「現実」でした。

 

「国際協力」と一言にいっても様々な形があるけれど、国連がやっているようなことは多くの場合、机上の空論であることが少なくありません。支援という形になるとどうしても「助けてあげる」というこちらからの一方的な自己満足の世界になってしまいがちです。それならば民間企業に入り、途上国とビジネスにおいて対等な付き合いをすることで、互いがwin-winの関係を築きながら「現場」と深く関わりあっていく方が私の性にあっているな、とこのとき初めて感じたんです。中でもパナソニックは、日々の生活に役立つモノ作りをしている企業。日本が得意とする家電製品を広めることで、途上国の人々を家事から解放し社会進出を後押しできる、そう考えました。またパナソニックの海外展開にはまだまだ拡大の余地があり、これからの海外事業の展開にも貢献できると考えたのも志望理由のひとつです。

現在の業務について教えて下さい。

入社後希望通り海外営業部門への配属が決まっていましたが、ちょうど組織再編の年に重なってしまったため、「まずは国内市場を勉強しろ」という会社の方針で国内のコンシューマーマーケティング部門に本配属となりました。2012年1月から、洗濯機の商品企画とマーケティングを担当しています。パナソニックのモノ作りへのこだわりを理解し、商品の「核」を決めて、その商品の良さを伝えていくのが私の仕事。工場の技術者から営業担当など多くの人とやり取りをしながら自分が架け橋となって、一つの商品を作り上げて行きます。量販店で自分の担当した商品を見ると、何とも言えない大きな喜びを感じますね。

 
※新製品の紹介で、俳優 西島秀俊さんと共演しました!⇒You Tube
 

これからどうして行きたいかも、考えています。大きな会社なので、やりたいと思うことは、自分から色々なところでアピールしないといけませんね。今はこうして国内のマーケティングに携わっていますが、将来的には絶対海外にまつわる仕事がしたい。会社外の人からの刺激も、自分をやりたいことに奮い立たせてくれる原動力になります。海外の競合の動きにも危機感を感じているし、いずれはやはり海外事業のプレゼンスを上げるために働きたいと思っています。

 

(2013年7月 インタビュアー 高坂春菜)

カテゴリー:会社員

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