大手総合商社 物流部門

田中紀恵 Norie Tanaka


留萌市生まれ。旭川東高校に入学と同時に親元を離れ下宿生活をスタート。高校3年時に理系から文系へ変更を経て、2007年旭川東高校卒業、東京大学(文科三類)に入学。その後、法学部に進学し、2012年東京大学卒業。現在は大手総合商社にて、貿易の要である物流部門に所属し活躍中。

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大島郁人 Fumito Oshima

2007年に旭川東高校を卒業し、東京大学理科一類に入学。高校生の頃から、社会基盤を支える「素材」に興

田中紀恵 Norie Tanaka

留萌市生まれ。旭川東高校に入学と同時に親元を離れ下宿生活をスタート。高校3年時に理系から文系へ変更を

松木琴未 Kotomi Matsuki

2003年東高入学。その年の8月から旭川市の姉妹都市米国ブルーミントンへ一年間の留学を経験。2007

留萌から旭川へ どんな思いで東高に入学したのですか。

実家が歯科医でしたが、小学生のころに父を亡くし、辞めてしまっていました。兄弟で継ぐ人もおらず、漠然とですが、医学部や歯学部に進学して、医療関係の仕事に就きたいと考えていました。あとは、いとこが東高から北大に進学していったのをみていて、大学に入らず就職するというイメージもなかったので…。

 

留萌から東高に進学するには、学区が違うので定員の2%(当時)という枠があって、最初は漏れちゃったんです。ですが、合格者の中で別の学校に進学する人が出て、定員に空きが出て追加合格で入学したんです。その時は、頂いたチャンスに最大限応えようと思いました。

高校では文転(理系クラスから文系クラスへの変更)をされていますが、どんなきっかけがあったんですか。

頂いたチャンスということで頑張って、推薦やAOでの医学部や歯学部への進学の可能性も見えてきた頃に、ふと、医者や歯医者として、毎日患者さんと向き合って仕事をしていけるのかと思って…すると少し自信がなかったんです。家庭のバックグラウンドや、東高の理系クラスで医学部を目指している人も少なくないという状況の中で、引かれたレールを進んでいるだけじゃないのかって思ってしまって…。

 

目指していたものが手に入る状況になって、本当にそれでいいのかという気持ちが湧いてきたんです。

そこから進路について、考え直したんですね。どんな情報を参考にしたんですか?

学校でも進路説明会や相談会といった機会に医者の方を呼んで頂いて、国境なき医師団などの経験がある方の話などを聞かせてもらう機会もありました。医者に限らず、海外を含めて、国際的に働いてみたい、チャレンジしたいという思いはあったので、すごく興味深かったです。そうした学校に来てくださった方に手紙を書いて質問したり、あるいは親戚の医者の方とか実家のツテとかを頼ってお話を聞いたりしました。いろいろ考えたんですが、高校2年生のその時点で将来の職業を決めるのは私には無理でした。

 

一方で、医学部に進学して医者以外の仕事をするという選択肢があまりないとことと、理学部や工学部といった理系の学部に興味が湧かなかったこともあって、結果、2年生の冬に文転を決意しました。

文系として東京大学に進学。大学選びはどんな考えで決めましたか?

将来の選択肢を広く持っておきたいと思っていたので、率直に高いところを目指した方がいいと思いました。それと東大の場合、まずは教養学部として学んだ後に、専門学部を選択できるので、自分としては、入学してから、大学での出会いの中で将来のことを決めていけるのが魅力でした。

最終的には法学部に進まれました。

そうですね。2つ理由があって、1つは大学に入ってからの選択科目の傾向として、法律・経済・政治といった科目をあまり取っていなくて、今、ここで勉強しないと一生勉強しないと。視野を広げようと思いました。食わず嫌いが嫌で(笑)

 

もう1つは、大学進学後、外交に関心を持っていました。ちょうど「アラブの春」の頃で中東情勢が変化していた時期でした。大学ではアメリカンフットボール部のトレーナーをしていたのですが、アメフト部の先輩でも外交官になる方もいて。外交をするためには、官僚にならなければいけないので、そうなれば法学の知識が必須ということもありました。

外交官を目指して、就職活動に臨んだのですか。

国家公務員試験を受けたのですが、ペーパーテストの点数が足りませんでした。実は、大学時代はアメフト部のトレーナーとして、スポーツ医学にものめり込んだりしていて…特に4年生は部活一本という生活でした。

 

試験に落ちた後、民間の就職活動もしたのですが、やはり嘘ばかりというか、口先だけの感じがして、あまりやりませんでした。結局、4年生をもう1年することにしました。

1年留年することに不安はありませんでしたか?

先輩や周りでもそういう人も珍しくなかったので、あまり気にはなりませんでしたね。

そしていよいよ、今の商社という仕事にたどり着いた。

きっかけはある学生プロジェクトの活動で、イスラエルやパレスチナに行って交流するような活動をしていたんですが、外交官になって何がしたいかが浮かばず、外交官にならなきゃいけない理由がなくなってしまったんです。視野が狭かったなと。同時に他の職業をちゃんと見ていなかったと気付いて、同時にビジネスのことを何も知らないまま公務員になっていいのかと。広い世界を見てから公務員になれたとしても、一度、公務員の感覚に慣れてしまってから、ビジネスというのは難しいと思ったんです。

 

そうした時にずっと抱いていた海外でチャレンジしたいという思いと、様々なビジネスを見ることができるということで商社に至りました。

今後はご自身の仕事でどんなことにチャレンジしていきたいですか。

入社後は物流部門に配属になりました。ここでは、各部門の様々な案件、商材をみることができて、すごく面白い。一般的には薄利多売のビジネスモデルなんですが、この物流で0からビジネスをつくってみたいです。

 

私自身、公務員を目指していた頃は漠然とお金を取る=悪みたいなイメージもあったんです。でも、新しいビジネスで儲かるというのは、それを使って助かる人がいるということで、家庭や社会に貢献できるということ。振り返れば、医者や外交官に共通していた思いは、社会に貢献したいという思いだったと思います。

 

私は、父親を亡くして、高校、大学と授業料について公的な支援のおかげで学ぶことができました。お金がなくて進学できない子、勉強のできない子もいる中で、東高という素晴らしい環境にいれたのはありがたいし、誇らしく思っています。それと同時に、素晴らしい環境で学ばせてもらった者として、社会に貢献していく責任と義務があると、そういう風にも私は思っています。

最後に今の東高生にメッセージをお願いします!

私も始めは漠然と医療関係の仕事というレールに乗って進んでいたんですが、そこから外れてみて、色々な可能性と出会えました。

 

皆さんも、敷かれたレールに乗らないで欲しい。自分の進路の可能性を簡単に諦めないで欲しいです。高校生の時には想像もしていなかったような職業があるので、視野を広くもって、チャレンジしてください。

 

(2015年1月 インタビュアー 越政樹)

 

カテゴリー:会社員

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